マタニティマークにキレる女性につけるクスリ
マタニティマークにキレる女性につけるクスリ
ずっと不妊治療を続けていたとある女性タレントさんが、めでたく妊娠されました。
彼女が「妊活ブログ」をupしていたときは、ブログの読者さんと彼女との温かい交流があったそうです。
ところが、彼女が妊娠し、幸せいっぱいの「プレママブログ」へと移行した途端、それまで彼女を応援していたはずの読者から批判が殺到し、炎上ブログになってしまったそうです。
また、聞いた話ですが、妊娠中であることを周囲に知らせる「マタニティマーク」をつけていると、電車内で嫌がらせに遭うそうなのです。
席を譲ってくれないどころか、睨みつけられたり、「チッ!」と舌打ちされたり、ひどい場合には突き飛ばされたり、わざとぶつかってきたりすることもあるそうです。
このため、「マタニティマークを付けていると、嫌がらせに遭うから付けない」という妊婦さんもいるそうです。
少子化が問題になっている日本において、妊婦さんは歓迎されるべき存在ですよね。
それにもかかわらず、どうしてこんなことが起きてしまうのでしょうか?
それはもちろん、「自分の幸せを見せびらかしやがって!」という嫉妬心からです。
よく、「赤ちゃんは神様からの授かりもの」という表現をされます。
若くして結婚し、夫婦ともに身体に問題はないのに、なかなか妊娠できない、妊活に励んでも結果が出ない・・・という悩みを耳にすると、この言葉にも頷けます。
最近では妊活に自治体から助成金が適用されるケースも増えてきているようですが、まだまだ妊活には莫大なお金がかかります。
出産してからもお金はかかるのに、妊活だけで貯金が底をついてしまったという話もあるようです。
妊活は「出口の見えないトンネル」を手探りで歩いているようなもので、頑張っても頑張っても結果が出ない状況は苦しいものです。
そんな中、「仲間」だと思っていた女性タレントさんがめでたく妊娠し、プレママとしての幸せを満喫している様子を見ると、自分だけが取り残されたような気持になってしまうのでしょう。
そんな、「ママ予備軍」の焦りや羨ましさが、「炎上」という現象に繋がってしまったのだと思います。
多様性が重視されるようになった現代でも、「結婚して子供を産むことが女性の幸せ」「女は子どもを産んでようやく一人前」という昔からの価値観がまだまだ幅を利かしています。
そのため、結婚するやいなや周囲からの「赤ちゃんはまだ?」「いつになったら、孫の顔を見せてくれるの?」などの容赦ないプレッシャーが女性たちを襲います。
結婚して夫婦共働きが当たり前になった現代でも、家事労働の責任負担は女性が多めに強いられがちです。
女性だって残業しなければいけないし、出張もしなけれないけないし、クライアントを接待しなければいけないことだってあります。
そんなプレッシャーやストレスを抱えたまま、妊活に励んでも結果が出ない苦しみが、女性たちを追い詰めているのだろうと思います。
また、病気で子どもが産めないとか、そもそも相手がいないので、妊活どころか婚活もままならない、という悩みや苦しみを抱えた女性も大勢います。
「打ち出の小槌」のように、結婚相手や赤ちゃんを望めばすぐに「ぽん!」と現れればいいですが、なかなかそうもいきません。
そんな焦りやみじめな気持ちを抱えたままの人にとってのマタニティマークは、「私は幸せいっぱいです!どう、うらやましいでしょ!?」と宣言しているかのように思えるのかもしれません。
しかし、だからと言って妊婦さんに嫌がらせはいけません。
今は幸せいっぱいに見えるその妊婦さんも、もしかしたら妊活で苦しんだ過去があるかもしれないし、婚活してもなかなか結果が表れなかった辛い時期もあったかもしれません。
つい、妊婦さんに嫌がらせしてしまったり、女性タレントのブログを炎上させてしまったりする女性は、もしかしたら「女性は、子どもを産んでこそ一人前」信仰にとらわれ過ぎているのかもしれません。
子どもを産んでいない女性が人として半人前か?というとそんなことは無いですよね。
我が子を虐待する若い母親のニュースが後を絶たないのですから、「女性は、子どもを産んでこそ一人前」信仰はそろそろ廃れるべきだと思います。
また、芸能界や政治の世界でも、子どもを産んでいない女性はたくさんいます。
彼女たちに向かって「あなたは、子どもを産んでいないから半人前の人間ね!」などとバカげたことを言う人はいないでしょう。
こんなことを言うと、「私は芸能人でも政治家でもない普通の人間だから、そんな風に割り切ることはできない」という声が聞こえてきそうです。
「自分には仕事で誇れるものが何一つないから、子どもが欲しい」というのもまた、おかしな考えです。
「子どもを産むこと」が、「女性としてのステイタス」であり、「女性としての自己の承認欲求を満たすため」の道具となってはいけません。
女性としての自己の承認欲求を満たすためだけに生まれた子どもは、不幸です。
その子供は、母親のエゴを満たすために一生努力をさせられ続けます。
その子供は、やがて母親を憎むようになります。
大人になると「ママみたいになりたくない!」と、親になることを拒否することでしょう。
「私はそんなことは望んではいない。ただ純粋に赤ちゃんが欲しいのに、できないし、できなかった」と苦しんでいる女性も大勢いることでしょう。
アメリカでは、このような女性は養子を迎えることが一般的です。
しかも、白人の夫婦のところにアジア人の養子とか、黒人の養子を迎えるケースも珍しくはありません。
「ウチの子どもは養子です」と、胸を張って言える文化がアメリカには根付いているようです。
残念ながら、日本ではまだまだアメリカのように養子に対して柔軟な考えを持つ段階には至ってはいません。
と、こんなことを言うと「私は養子が欲しいんじゃなくて、実子が欲しいの!」と怒られてしまいそうですが(^^;)。
「産みたいのに、産めなかった」苦しみや悲しみは、残念ながら受け入れていくしかありません。
どんなに神様を恨んでも、現状が「ママになれなかった」のなら、それを運命だと思って受け入れていく以外、方法はありません。
妊婦さんに嫌がらせする女性たちも、自分のしている行為が虚しいことだと、本音のところでは分かっていると思います。
しかし、どこにも持っていき場のないやるせなさや怒りや悲しみが、そのような行動に走ってしまったのだと思います。
私は、そういうときこそカウンセリングを活用して欲しいな、と思います。
「子どもがいたら幸せ」ではなく、「子どもがいてもいなくても幸せ」な状態が、「本当の幸せ」だと思います。
そして、カウンセリングはその「本当の幸せ」に気付いてもらうための一つの手段だと思います。
もし、「自分一人では、この苦しみに対処できない」と思うほど辛い気持ちになったら、カウンセリングを活用してくださいね。