怒りっぽい人の末路
「怒りっぽい人の8つのパターン」では、様々なタイプの怒りっぽい人をご紹介しました。
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怒る対象は赤ちゃん、店員さん、部下、通りすがりの人、など様々です。
共通している点は、いずれも「自分より弱そうな人、立場の弱い人」です。
怒りっぽい人が、国家権力に対して怒るならカッコイイのですが、怖そうなお兄さんには、絶対に刃向かいません。
なぜなら、怒りっぽい人は、基本的に卑怯者だからです。
彼らが怒るのは、自分のストレスを解消するためであって、義憤に駆られたとか、そういう正当性があって怒る訳ではありません。
もちろん、そういう卑怯な性格を他人は見抜いています。
そのため、怒れば怒るほど、「なんて、心の狭い人だろう」「なんて、身勝手なヤツだろう」と、周囲から軽蔑されてしまうのです。
ところが、怒りっぽい人は、あくまで「自分は、世の中を正すために怒っている」と勘違いしている節があります。
なので、怒れば怒るほど、周囲から軽蔑され、人が離れていくという現象に矛盾を感じるようになります。
「オレはちっとも間違っていないのに、なんで他人から敬遠されるんだろう」と、一人悶々とします。
そうして孤独と孤立を深め、どんどん偏屈な性格になります。
怒りっぽい人は、自分の性格が間違っていることを絶対に認めようとしません。
したがって、最終的には「オレは悪くない。誤解している世間のヤツらが悪い」という自分勝手な解釈に落ち着きます。
数年前、地方の限界集落で独身の中高年男性が突然近隣の住民を襲い、殺してしまう事件がありました。
犯人は、勝手に「オレを理解しない住民が悪い」と被害妄想に陥り、ついに凶行を犯してしまいました。
犠牲になった住民は、いずれも高齢者で、犯人に刃向かうような力の無い方ばかりです。
犯人は、自分が孤立を深めた原因を自分の中にあることを認めようとせず、原因を近隣の住民に転嫁してしまったのです。
このように、怒りっぽい人には、あまりいい末路は待っていません。
それどころか、このような恐ろしい悲劇を生み出すかもしれないのです。
もし、「自分の怒りっぽい性格を何とかしたい」とお思いでしたら、今すぐに「アンガー・バニッシュメント」をお勧めします。
DV~妻を殴る夫、夫を殴る妻
DV~妻を殴る夫、夫を殴る妻
一昔前、ドメスティックバイオレンス、家庭内暴力と言えば、「夫が妻を殴る」ものでした。
ところが、最近では「妻が夫を殴る」ケースもあるようです。
女性の社会進出が進み、男性並みにバリバリ働いてお金を稼ぐ女性が増えたことで、こうした「男女逆転現象」が起きるようになったようです。
実際に暴力に至らなくても、暴言を吐いたりモラハラしたり、お金を家計に入れないとかの行為も暴力にあてはまります。
一説には、「4組に1組」の割合で、DV夫婦が存在するようです。
DVをしてしまう原因
互いに愛し合い、「この人しかいない」「一生、この人と一緒にいたい」と思って結婚したはずなのに、どうしてDVが起きてしまうのでしょう?
その理由は、夫も妻も、「子ども時代に、自分を愛してくれなかった父親や母親への怒りをパートナーにぶつけているから」です。
パートナーに暴力をふるう夫や妻は、子ども時代に自分を愛してくれなかった両親に怒りや憎みを抱いています。
そして、無意識のうちに自分の配偶者を「親代わり」として見ています。
彼らは、結婚当初こそ、「これで、子ども時代に両親が埋めてくれなかった心のスキマをパートナーが埋めてくれる」と相手に期待します。
ところが、結婚当初のときめきが薄れ、倦怠期に陥ると、途端にパートナーに対してイライラしだします。
「私の心のスキマを埋めてくれる、と期待したから結婚したのに。この人は何の役にも立たない」とパートナーに失望します。
そして、その失望が次第に怒りへと変わります。
恋愛当初は「白馬の王子様」「お姫様」に見えたパートナーも、時間が経てば「つまらない人」に降格してしまいます。
やがて、その存在さえも目障りで許せなくなります。
口にこそ出さないものの、「なんで、私の心のスキマを埋めてくれないの!」と、ちょっとしたことでカッとなって、暴力を振るってしまうのです。
DVから逃げられない人達
暴力を振るわれる側のパートナーも、暴力がイヤなら逃げ出せばいいのに、一部の人は逃げずに留まります。
彼らは、自分の意志というものをあまり持たず、精神的に自立する自信がありません。
たとえDV夫やDV妻であっても、相手に依存した関係を築いている方が心地よいのです。
彼らの口癖は、「あの人は、私がいないとダメなの」「アイツは、オレがそばにいてやらないと」です。
そして、その執着を「愛」と勘違いしています。
周囲の人から見れば不思議で仕方ないのですが、当人にとっては「あの人のために」ではなく、「一人にされたら、自分が困る」のです。
絶望的に相手に依存しているのは、裏を返せば「それだけ、精神的に不安定で、一人では生きていけないほどに心が弱い」ということです。
しかし、ほとんどの人はこのカラクリを理解していません。
そのため、ときに命を落とすまで相手に依存します。
DVからの解放
ドメスティックバイオレンスを止めるためには、こうした心のカラクリを知り、精神的に自立することです。
そして、子ども時代に「自分を愛してくれなかった親への恨みや怒り」を心理療法で癒すことです。
そうすれば、「自分の幸せは、自分で作るもの」という当たり前の認識が生まれます。
必要以上に相手に依存することがなくなり、すぐに気持ちが不安定になったり、ちょっとしたことでも怒らなくなったりするでしょう。
精神的に安定すると、「類は友を呼ぶ」の逆法則により、DV夫やDV妻とは縁ができなくなって、自然に離れられるようになります。
やがて、精神的に落ち着いた人と、安定した恋愛関係を築けるようになることでしょう。
かつてはあれほど相手に執着していたのに、一人でも生きていける自信がついたとき、互いに支え合える関係性を築けるようになります。
部下にパワハラ、モラハラする上司
配属された部署の直属の上司が、パワハラ、モラハラ上司だった・・・。
こんなとき、選択肢は「2つに1つ」。
「辞めるか、我慢するか」の内のどちらかしかありません。
もうじき新年度ですが、異動、転勤、配置換え、入社、転職により、パワハラ、モラハラ上司にあたってしまったら「不運」としか言いようがないですよね(>_<)。
こちらがどこの会社でも引く手あまたの有能な人材だったら、「辞めてやるわ!」と、潔く退職するのも一つの手段ではあります。
が、ほとんどは辛い状況を甘んじて受けるしかないのではありませんか?
「まだ、子どもも小さいし・・・」
「家のローンが・・・」
「もうこの年齢じゃ、転職は難しいかも・・・」
そんな理由で「ガマンするしかない」と、耐えている人もいることでしょう。
その理由は、もちろん「器が小さいから」です。
上司とは、一般的に部下から尊敬される立場にあります。
当然、部下よりも優秀でなければいけない、と周囲から期待されています。
ところが、自分の能力に自信が無く、それどころか自分の能力にコンプレックスを持っているとします。
そうすると、自分よりも優秀な部下がいると、目障りで仕方なくて、パワハラ、モラハラしてうっぷんを晴らそうとします。
また、これとは反対に、仕事ができない無能な部下を「スケープゴート(いけにえのヤギ)」として、パワハラ、モラハラしてうっぷんを晴らそうとする人もいます。
いわば、無能な部下を「サンドバック」代わりにして、自分自身にたまったストレスを部下にぶつけることで解消しているのです。
上司を上回る有能な部下なら、さっさと見切りをつけて転職するでしょう。
問題は、「スケープゴート」「サンドバック」として、日々上司からストレスをぶつけられる、あまり有能ではない部下の場合です。
毎日上司から無理難題を押し付けられて、場合によっては過労死や、うつ状態に追い込まれて休職、失職してしまうかもしれません。
こうやってうつ状態に追い込まれてしまうような人は気が弱く、人事部や労働基準監督署、または弁護士事務所に駆け込む、と言った器用なこともできません。
ただ、心身がすり切れてしまうのを受け身の姿勢で待つことしかできないのです。
意外に思われるかもしれませんが、こうしてパワハラ、モラハラする上司と、「スケープゴート」にされる無能な部下とは、実は「互いのコンプレックスが同じ」という共通項を持っていたりします。
つまり、「自分は無能なのではないか?」という恐れを持つ上司にとって、無能な部下は、自分が最も見たくない姿を目の前に突きつけられているようで、腹が立って仕方ないのです。
また、このようにただ一方的に上司からパワハラ、モラハラされる部下も、「自分は無能なのではないか?」という恐れを抱えています。
そのため、上司からただ一方的にパワハラ、モラハラされるがまま、「自分は無能だから、耐えるしかない」と思い込んでいるのです。
なので、こうしたパワハラ、モラハラ上司から「スケープゴート部下」が逃げる手段は一つ。
自分自身のコンプレックスが何かを知り、それを心理療法で癒すことです。
会社は、そもそも一致団結して仕事に取組み、業績を上げる場所ですよね。
1.自分の実力を磨き、
2.「上司の横暴に抵抗できない自分の弱さ」はどこから来ているかを知り、
3.人事部や労働基準監督署に相談するなり、現実的に対処するスキルを身に着けることです。
その頃には、さっさと会社に見切りをつけて、転職できるような強さを備えていることでしょう。
怒りっぽい人の8つのパターン
さて、これまで「怒りっぽい人」には、8つのパターンがあることをご紹介してきました。
1.元々自分を嫌っていて、欠点やコンプレックスに触れられると大激怒する人
2.ちょっとしたマナー違反が許せなくて、暴力や暴言を振るう人
3.赤ちゃんや子どもがぐずると、カッとなって虐待してしまう人
4.レストランやお店など、店員さんにカッとなって言い掛かりをつける人
5.芸能人のブログに一々かみついて、炎上させたがる人
6.勝手に思いを寄せた異性に「自分を愛してくれない」とストーカー行為を働く人
7.自分より優秀または無能な部下に対してパワハラ、モラハラする上司
8.ちょっとしたことでパートナーにDVする夫、妻
怒る対象はそれぞれ違いますが、いずれも自分の感情をコントロールできない、怒りっぽい人であることに違いはありません。
そして、怒りっぽい人はいずれも「私を怒らせた相手が悪い」「マナー違反をした相手が悪い」と、自分を正当化します。
が、同じ状況でも笑って済ませる人がいることを考えれば、問題は怒りっぽい人にあることは明らかです。
このように自分の感情をコントロールできない人々に、巷のアンガーマネジメントは無意味です。
なぜなら、「怒り」は、ほとんど脊髄反射的に起こっていることなので、理屈で治せるものではないからです。
これらの怒りっぽい人にいくら理屈でアンガーマネジメントを教えても、いざカッとなる場面に出くわしたら、もう瞬間的に怒っているはずです。
では、怒りっぽい性格は、どうすれば治るのでしょうか?
それは、自分の怒りっぽい性格の原因は「自分を愛せないこと」と「自分の親に対する抑圧した怒り」にあることを知り、それを「アンガー・バニッシュメント」で癒すことです。
すぐにカッとなる人
昨年、某地下鉄沿線から、某私鉄沿線へと引っ越しました。
ところが、引っ越してすぐ、少し後悔しました。
なぜなら、前に住んでいた某地下鉄の電車より、現在の某私鉄の電車内の人々の方が「民度が低い」のです(>_<)。
ある日のことですが、電車に入って座ろうとしたら、年配の男性が、ややゆったり目に膝を広げて、座っていました。
その座り方は、迷惑行為には違いありません。
でも、朝の通勤ラッシュ時でもないので、席は十分に空いていましたし、私は「すみません」とその男性に声をかけて、隣に座りました。
すると、私の後にきたスーツ姿の中年男性が、年配の男性の姿を見るなり「チッ」と舌打ちしたかと思うと、突然その年配の男性の足を蹴りました。
そして、音を立てて思いっきり「ドカッ」と年配の男性の隣に座りました。
年配の男性は、いたたまれずにすぐに別の車両へ移動しました。
突然、私の右隣で繰り広げられた一連の行為に、思わず私もビビってしまいました(;´・ω・)。
「どう見ても、自分の父親くらいの年齢の男性に、よくあんなことできるな・・・」と、その中年男性が怖くなりました。
膝を広げて座る姿は、迷惑行為には違いありません。
でも、一言「すみません。詰めていただけますか?」と声をかければいいだけのことですよね。
突然、見ず知らずの男性の足を蹴りあげる行為の方が、よほど迷惑行為です。
というより、それで年配の男性が転んでケガをしたら、明らかに傷害事件です。
この中年男性は、きっと「自分は正しいことをした」と思っているのでしょう。
しかし、他人から見たら「すぐにキレる、怖い人」としか映りません。
このように、「すぐにカッとなって、キレる人」というのは、「自分を嫌いなストレス」が、表面張力ギリギリで、今すぐにもあふれそうな人です。
そのために、ちょっとでも「怒りの対象」を見つけると、「大義名分ができた」と言わんばかりに、攻撃して怒りを発散させようとします。
こういう人は、まるで「天下のご意見番」がごとく、いろんなことにすぐにカッとなって、手が出たり、暴言を吐いたりします。
彼らは「オレを怒らせるようなことをするヤツが悪い」という理由のもとに、常に怒りをまき散らしています。
でも、同じ状況でも、怒る人もいれば怒らない人もいます。
ということは、「オレを怒らせるヤツが悪い」という言い訳は、世間には通用しません。
こういう人の一部が、やがて「超えてはいけない一線」を超えてしまい、凶悪な事件を起こすのだろうと思います。
でも、そんなことになったら、自分ばかりか、家族にまで迷惑をかけてしまいますよね。
すぐにカッとなる性格を治すには、「自分を嫌いになった原因」を探り、それを「アンガー・バニッシュメント」で癒すことです。
自己肯定感が高まれば、小さいことで一々カッカしなくなります。
やがて、「菩薩のように」心が広い人、と呼ばれるようになるでしょう。
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千葉県我孫子市で犠牲になった女児の事件
千葉県我孫子市で、登校途中に行方不明になった9歳の女児が、排水路で死体となって発見されました。
大変残念なことですが、こうした幼女や女児を狙った事件も、毎年後を絶ちません。
こうした事件を起こす犯人を「変態」と決めつけて断罪するのはたやすいことです。
大切なのは、こうした犯人を生み出さないようにすることです。
こういう犯罪を起こした加害者が刑務所に入ると、「矯正教育」が行われて、2度とこのような犯罪を起こさせないようにするようです。
「刑務所内のプログラムは、再犯低下効果が実証されているカナダのプログラムを土台としていて、再犯のリスク、認知の
出典:性犯罪「再犯防止プログラム」に効果はあるのか : 深読みチャンネル : 読売新聞(YOMIURI ONLINE) 2/3
しかし、私はこうした矯正教育が本当に効果があるのか、大いに疑問です。
なぜなら、こうした女児や幼女を狙う性犯罪者は、「自分を愛してくれなかった母親への怒り」に駆られて犯罪を起こすからです。
穏やかな情緒を持った母親から、穏やかな愛情を一身に受けて育つと、男の子は成人すると成人女性に対して自然な愛情を持ちます。
その自然な愛情の根っこには、「私は、お母さんから十分に愛されて育った。私は、女性から愛される価値のある人間だ」という自信があるからです。
ところが、これが情緒が不安定な母親から、肉体的、精神的暴力を受けて育つと、子どもはこうした自信を持てなくなります。
「私のお母さんは、私を愛してくれなかった。きっと、世の中の女性もお母さんと同じように私をひどい目に遭わせるに違いない」と思い込みます。
その結果、自分が成人しても、成人女性に興味を持てなくなります。
いざ成人女性と接すると、自分の母親が自分に対して虐待したときのことが甦ります。
そうすると、成人女性が怖くてたまらなくなってしまいます。
そのために、自分の歪んだ性欲を、幼女や女児に対して発散させようとします。
成人女性は怖くても、幼女や女児なら、「自分の思い通りにできる」という思い込みがあるからです。
ですから、このような小児性愛者に対して一般の矯正教育は、意味がありません。
自分の母親に対する怒りを、「アンガー・バニッシュメント」で消失させることなのです。
そうすれば、成人女性が怖くなくなり、自然な「一対一」の関係を築くことに抵抗が無くなることでしょう。
乳幼児にマジギレする大人たち
悲しいことですが、「乳幼児が周囲の大人から虐待されて命を落とす事件」は珍しいことではなくなりました。
まだ10代の幼い母親や父親、あるいは母親のボーイフレンドの手にかけられて、自分一人では何もできない、イヤなことをされても周囲に訴える力の無い乳幼児が亡くなる事件が後を絶ちません。
こんな事件が起こる度に世間の人は「人でなしだ」「極刑を」「こんなヤツ、子どもをつくる資格がない」と、子どもを死に追いやった犯人を責めます。
可愛い盛りの我が子を手にかけるなんて、たしかに畜生にも劣る行為です。
「親は我が子を守り、愛するもの」という動物の本能に反する「親による虐待」という行為は、なぜ絶えないのでしょう?
その理由は、子どもが愛を求めて泣いたり、ダダをこねたりすると、「私は親から愛されなかったのに、『愛が欲しい』なんて、ワガママでとんでもないヤツだ」と、怒りがあっという間に沸点に達するからです。
子どもを虐待する人たちは、自分も幼かったときに自分の親から十分に愛された記憶がありません。
むしろ、何も悪いことをしていないのに叱られたり、怒鳴られたり、殴られたり、蹴られたり、無視されたり、育児放棄されたりと、およそ「愛」や「やすらぎ」とは縁遠い、常に緊張をはらんだ環境で育てられました。
そのために、どうやって我が子を愛したらいいか分からないし、まして子供が泣いてぐずったりすると、すぐに自分自身が親から暴力を振るわれた恐怖が甦ります。
そして、「なにを泣いてグズグズ言ってるんだ!」と、子どもに暴力を振るわずにはいられなくなってしまうのです。
虐待で警察に逮捕された犯人は、大抵「しつけのつもりでやった」と言い訳をします。
その言い訳は、大抵世間からは非難の的になります。
でも、その犯人にとっては言い訳ではありません。
「自分も親から暴力を振るわれた。だから、これが正しい子供への接し方なんだ」という思い込みがあるからです。
「つい、カッとなって子供に暴力を振るってしまう」ーそんな悩みを持つ方にこそ、「アンガー・バニッシュメント」が必要です。