乳幼児にマジギレする大人たち

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悲しいことですが、「乳幼児が周囲の大人から虐待されて命を落とす事件」は珍しいことではなくなりました。

 

まだ10代の幼い母親や父親、あるいは母親のボーイフレンドの手にかけられて、自分一人では何もできない、イヤなことをされても周囲に訴える力の無い乳幼児が亡くなる事件が後を絶ちません。

 

こんな事件が起こる度に世間の人は「人でなしだ」「極刑を」「こんなヤツ、子どもをつくる資格がない」と、子どもを死に追いやった犯人を責めます。

 

可愛い盛りの我が子を手にかけるなんて、たしかに畜生にも劣る行為です。

 

「親は我が子を守り、愛するもの」という動物の本能に反する「親による虐待」という行為は、なぜ絶えないのでしょう?

 

その理由は、子どもが愛を求めて泣いたり、ダダをこねたりすると、「私は親から愛されなかったのに、『愛が欲しい』なんて、ワガママでとんでもないヤツだ」と、怒りがあっという間に沸点に達するからです。

 

子どもを虐待する人たちは、自分も幼かったときに自分の親から十分に愛された記憶がありません。

 

むしろ、何も悪いことをしていないのに叱られたり、怒鳴られたり、殴られたり、蹴られたり、無視されたり、育児放棄されたりと、およそ「愛」や「やすらぎ」とは縁遠い、常に緊張をはらんだ環境で育てられました。

 

そのために、どうやって我が子を愛したらいいか分からないし、まして子供が泣いてぐずったりすると、すぐに自分自身が親から暴力を振るわれた恐怖が甦ります。

 

そして、「なにを泣いてグズグズ言ってるんだ!」と、子どもに暴力を振るわずにはいられなくなってしまうのです。

 

虐待で警察に逮捕された犯人は、大抵「しつけのつもりでやった」と言い訳をします。

 

その言い訳は、大抵世間からは非難の的になります。

 

でも、その犯人にとっては言い訳ではありません。

 

「自分も親から暴力を振るわれた。だから、これが正しい子供への接し方なんだ」という思い込みがあるからです。

 

「つい、カッとなって子供に暴力を振るってしまう」ーそんな悩みを持つ方にこそ、「アンガー・バニッシュメント」が必要です。

「モンスター・クレーマー」という病

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ちょうど、「スカッとジャパン」を楽しく視聴しているところですが、皆様はこのTV番組に出てくるような、「モンスター・クレーマー」に出会ったことはありませんか?

 

このTV番組では、ラーメン屋さん、八百屋さん、銀行など、様々なシチュエーションで「モンスター・クレーマー」が登場します。

 

登場人物が「モンスター・クレーマー」に散々言い掛かりをつけられて、困り果てたところに「正義の味方」が現れて、気持ちよく「モンスター・クレーマー」を成敗する、というオチがこの「スカッとジャパン」の見所ですよね。

 

でも、現実問題として、このような「モンスター・クレーマー」が目の前に現れてギャアギャアわめかれたら、大抵の人は根負けするのではないでしょうか?

 

なぜ、「モンスター・クレーマー」は無理難題を吹っかけて、お店の人を困らせるようなことをするのだろうと思いませんか?

 

その理由は、普段から自分のことを嫌っていて、ストレスが溜まりまくっているからです。

 

そして、ちょっとでも気に入らないことがあると、そのストレスがあっという間に臨界点に達します。

 

そうすると、その臨界点に達したストレスを、「よくも、私のストレスを刺激しやがって!」と、「私のストレスを刺激した人」にぶつけることで解消を図ろうとしているのです。

 

こういう人は、普段は気が小さいので「自分より強そうな人」には絶対に怒りをぶつけようとはしません。

 

そのために、「絶対に自分に刃向かわない人」を選んで、突如「モンスター・クレーマー」に変貌を遂げます。

 

ですから「自分が神様である客」で「相手が店員さん」という構図は、「モンスター・クレーマー」にとって、絶好のシチュエーションなのです。

 

「モンスター・クレーマー」は怒りを散々ぶつけてその場はスッキリすることでしょう。

 

でも、あっちこっちでこんなことをやっていたら、そのうち「出入り禁止」のお店だらけになってしまい、自分が困ることになります。

 

それに、「類は友を呼ぶ」で、いつか自分が別のもっと強力な「モンスター・クレーマー」の餌食にされることでしょう。

 

そのとき、自分がやっつけた店員さんの気持ちを少しでも理解できたら、「もうこういうことは止めよう」と、成長できればいいのですが、実際のところは「なんで私が!」と、さらに「モンスター・クレーマー」になります。

 

「怒り」は、他人にぶつけるのではなく、「アンガー・バニッシュメント」でスッキリ消しましょう。

「地雷を踏む」の意味

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「知らないうちに地雷を踏んで、キレられた」という人がいます。

 

この場合の「地雷」とは、その人の「触れられたくない欠点、コンプレックス」のことを言います。

 

本物の「地雷」は、地面に埋まっているので、パッと見は分かりません。

 

でも、地雷を踏むと同時に爆発して大ケガします。

 

これと同じように、「地雷を踏む」とは、その人の「触れられたくない欠点、コンプレックス」を、会話の中でうっかり刺激してしまい、その人から大激怒されることを指します。

 

この世に完璧な人間なんていません。

 

ですから、大なり小なり、欠点やコンプレックスは大抵の人にはつきものです。

 

普通の人は、自分の中にある欠点やコンプレックスを自覚しつつ、折り合いをつけて生きています。

 

でも、地雷を踏まれて大激怒するような人は、この「折り合いをつけて生きる」という器用なことができません。

 

そのために、普段は自分の中にある欠点やコンプレックスを極力隠そうとします。

 

それどころか、「私には欠点やコンプレックスなんて、ありませんから!」と、強がりを見せています。

 

まるで、「自分は完全無欠、パーフェクト・ヒューマンだ」と言わんばかりの態度です。

 

そうやって強がって見せているところに、無邪気な人がうっかりと、その人の「欠点やコンプレックス」を刺激するようなことを言います。

 

そうすると「よくも、隠していた欠点に触れてくれたな!」と、大激怒してしまうのです。

 

でも、地雷を踏んでしまった人は、わざと言ったのではありません。

 

それに、そもそも他人が隠している欠点やコンプレックスなんて、知る由もないですよね。

 

ですから、キレられた人は、「扱い辛くて、面倒くさい人だな」という印象を持ちます。

 

そもそも、地雷を踏まれてキレる人は、なぜこんなにキレてしまうのでしょう?

 

その理由は「もともと、自分を嫌っているから」です。

 

ただでさえ自分を嫌っているところに、必死で隠していた欠点やコンプレックスを刺激されて、「自分の価値がますます下がってしまう!」と大激怒してしまうのです。

 

しかし、欠点やコンプレックスを気にするかどうかは、その人次第です。

 

たとえば、最近「ハゲネタ」でブレイク中のお笑い芸人の斉藤さん。

 

もし、彼が本気でハゲを気にしていたら、あそこまで堂々と人前に出られません。

 

「ハゲ」みたいに分かりやすいコンプレックスは、さすがに良識ある大人なら、そこは触れずにおいておくと思います。

 

でも、問題なのは他人から見ると「どうして、そんなことがコンプレックスなの?」というものです。

 

そのために、悪気はないのに「うっかりして、地雷を踏んでしまい」、人からキレられます。

 

たとえば、学歴コンプレックスを持っている人がいるとします。

 

その人の前で、うっかりして親戚の学歴自慢をしたら、突然キレられます。

 

キレた人が学歴コンプレックスを持っているかどうかは、カミングアウトしない限り、他人にはうかがい知れないものですよね。

 

通常、人はコンプレックスを隠そうとしますから、他人のコンプレックスなんて、その他の人にとっては「知ったこっちゃない」ものです。

 

コンプレックスとは、「絶対に、乗り越えられないもの」であり、「その欠点のせいで、自分の価値が下がるもの」です。

 

ハゲは現在の医療技術では乗り越えられないものです。

 

でも、そのせいで自分の価値が下がるかどうかは、斉藤さんのようにその人次第ですよね。

 

つまり、「怒りっぽくて、面倒くさいヤツ」になるかどうかは、その人が「その欠点によって、自分の価値は下がらない」と思っているかどうか、にかかっています。

 

どうせなら「怒りっぽくて、面倒くさいヤツ」として敬遠されるより、「いじられキャラ」「愛されキャラ」になりたいですよね。

 

コンプレックスは隠そうとせず、むしろ受け入れて堂々としていた方が、周囲から好感を持たれます。

「小林麻央さん闘病ブログ」に怒る人々

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フリーアナウンサーで、歌舞伎役者市川海老蔵さんの奥様、小林麻央さんの乳癌闘病ブログが、度々メディアで取り上げられるようになりました。

 

最初は、「こんなにキレイでこんなに若い人が、末期ガンなんて」と、麻央さんのことをお気の毒に思いました。

 

世間の論調も、私と同じようなものだったと思います。

 

ところが、このところ、世間の論調に変化がみられるようになりました。

 

麻央さんがブログを更新し、それをメディアが取り上げる度に、一々噛みついてくる人々が増えてきたのです。

 

彼らの主張は、主に

 

「一々、彼女の闘病ブログをメディアで取り上げる必要は無い」

「闘病ブログで金儲けなんかしやがって」

「金儲けブログを書いているヒマがあったら、子どもの面倒をみろ」

「金持ちは高額治療を受ける余裕があるんだろう」

「どうして、乳癌が発覚したときにさっさと手術を受けなかったんだ」

「どうせ、海老蔵は浮気しまくっているんだろう」

 

・・・などと、はっきり言って「どうでもいい」内容です。

 

麻央さんが闘病ブログを始めたのは、「将来、自分が死んだ後に、残された子供たちのために」という思いからだったのでしょう。

 

そもそも、ブログなのですから、彼女が何を書こうが彼女の勝手です。

 

また、彼女は市川海老蔵さんという有名人の妻ですし、「若くして、子ども2人がいるのに末期ガン」という、かなりドラマティックな状況ですから、メディアが取り上げたがるのも当たり前です。

 

それに、彼女も海老蔵さんも芸能人ですから、「ブログで金儲け」は、彼らの生活手段の一つです。

 

海老蔵さんの素行の悪さ、女癖の悪さは、結婚前からさんざん知れ渡ってきたことですから、今さら海老蔵さんに「徳の高さ」を求める方が無理筋、というものです。

 

それなのに、なぜ麻央さんの闘病ブログに噛みつかずにはいられないのでしょう?

 

単に「大変ね」と思って、その記事をスキップすればいいだけのことですよね。

 

スキップできずに、一々ヤフコメにコメントをUPしたがる人々は、はっきり言って自分を嫌いな人々です。

 

「怒りをコントロールできない人」というブログで、「怒りをコントロールできない人々は、自分を好きになれないストレスを、他人に怒ることで解消しようとしている」と書きました。

komyushou-kokufuku.hatenablog.com

 

 

ヤフコメにバッシングコメントを載せる人々は、おそらく麻央さんの闘病ブログが始まったとき、うんと同情したことでしょう。

 

その同情の裏には「あんな性格が悪くて、女癖の悪い男の妻が、こんな不幸な目にあっている。ざまあみろだ」と、溜飲を下げたことにあると思います。

 

ですから、彼らは麻央さんが元気そうな様子をブログにUPすると、溜飲を下げられなくてイライラするのです。

 

もし、本当に麻央さんの体調を気遣っているなら、彼女の元気そうな様子を一緒になって喜ぶはずですよね。

 

私が1番驚いたコメントは「死ぬ死ぬ、って言っていつ死ぬんだ。まるで、『死ぬ死ぬ詐欺だ』」です。

 

きっと、こういうコメントを書く人は、彼女がガンを完治したら、発狂しそうなほど悔しがると思います。

 

見ず知らずの人にここまでバッシングされるなんて、芸能人って大変だなぁ、と思いますが、それも含めて彼女が選んだ人生です。

 

他人の不幸を願うより、麻央さんの快癒を、心の底から喜んであげられるような人になりたいですね。

「怒り」をコントロールできない人

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「穏やかな人」「怒りっぽい人」という言葉が存在するように、自分で怒りをコントロールできる人とできない人が存在します。

 

当然、穏やかな人は誰からも好かれます。

 

一方、怒りっぽい人は、誰からも敬遠されます。

 

怒りっぽい人は、始終「何か」に怒っているような印象を受けます。

 

たとえば、

「電車内で、携帯電話でペチャクチャしゃべるバカ女がいた」

 

「レストランが混んでいて、順番を待っている人がたくさんいるのに、食事が終わったにもかかわらず、いつまでも席を譲らないバカがいた」

 

「ランチタイムで、こっちはまだ食事中なのに、目の前でタバコをプカプカ吸いだすバカサラリーマンがいた」

 

「ラーメン屋に入ったら、あり得ないほどマズいラーメンだった。金返せ!」

 

世間の人がすべて自分の思い通りに動いてくれないのは当たり前のことなので、怒ろうと思ったら、いくらでも「怒り」のタネを見つけることができます。

 

確かに、最近はマナーやモラルを持たない人が増えたような気がします。

 

私も、電車内で肩がぶつかったり、足を踏んだりしても謝りもしないで涼しい顔をしている人を見ると、思わずムッとします。

 

穏やかな人も、こういう状況でムッとはしますが、引きずらないし、根にも持ちません。

 

ところが、怒りっぽい人は、いつまでも根に持ってグチグチと引きずります。

 

しかも、その怒り方が「そこまで怒らなくても・・・」と周囲の人が引いてしまうくらい、尋常ではない怒り方なのです。

 

なぜ、怒りっぽい人は、自分の怒りをコントロールできないのでしょう?

 

その理由は、怒りっぽい人は自分を好きではないので、そのストレスを「他人への怒り」で消化させようとするからです。

 

つまり、怒りっぽい人にとって、「怒る理由」は何でもよく、自分のストレスを消化させたいがために「怒る理由」を積極的に見つけているのです。

 

もし、怒りっぽい人の周囲がいい人だらけで、「怒る理由」が見つけられなかったら、かえってそのことでストレスが溜まって、さらにイライラすることでしょう。

 

しかし、「類は友を呼ぶ」ので、実際のところは怒りっぽい人の周りも怒りっぽい人だらけです。

 

よく、「口を開けば他人の悪口」しか言わない人がいます。

 

でも、そういう人たちと仲良く行動するのも、同じように「他人の悪口」しか言わない人です。

 

*他人の悪口を滅多に言わない心の優しい人は、「他人の悪口」が大好きな人を避けます。

 

怒りっぽい人は、他人の悪口を言うことで自分のストレスを解消しようとしますが、根本的な解決にはならないので、始終ターゲットを探し回ります。

 

そして、自分の怒りっぽい性格を正当化するために、「周囲はマナー知らずのクズだらけ」と決めつけずにいられないのです。

 

しかし、そうやって怒れば怒るほど、人からは嫌われて避けられる、という悪循環に陥ります。

 

怒りっぽい人が自分の怒りをコントロールできるようになるためには、自分を好きになれない原因を探り、自分を好きになることで、ストレスを解消することです。

「理不尽な怒り」~女子大生アイドルストーカー刺傷事件

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今日、女子大生アイドルを34ヶ所もナイフで刺した事件の判決が出ました。

 

検察側の求刑が17年だったのに対し、判決は14年。

 

 

被害者の女性が一命を取り留めたから、殺人罪よりは低い量刑なのでしょう。

 

でも、うら若き女性を34ヶ所もメッタ刺しにしておいて、この判決では、被害者の女性もやりきれないことと思います。

 

法廷では、犯人の「殺すわけないだろ!」「さっさと殺せよ!」などの暴言が飛び交ったそうです。

 

「心のはたらき」を知らない一般人からすれば、この犯人は「常軌を逸している」「精神異常者」と映ることでしょう。

 

でも、私はこう考えます。

 

「よっぽど、『怒り』を潜在意識にため込んでしまったんだな」と。

 

別に犯人を擁護する訳ではありませんが、潜在意識に抑え込まれた「怒り」は、時間が経つにつれ、「増大し、増強し、膨張する」という性質があります。

 

そして、この「怒り」は、常にぶつける対象を求めています。

 

今回は、運の悪いことに、この女子大生がターゲットにされました。

 

AKBなどの、「会いに行けるアイドル」が流行ったことで、「アイドル」と「ファン」の距離が近くなりすぎ、こういうことが起こってしまいました。

 

一昔前なら、アイドルはTVや大会場のコンサートでしかお目にかかれない、「雲の上の存在」でした。

 

ですから、ファンが一方的に恋心を抱いても、せいぜいファンレターやプレゼントを事務所に送ることくらいしかできませんでした。

 

ところが、今はアイドルの方からファンに歩み寄る時代になりました。

 

CDを買えば、一緒に写真を撮ってくれたり、握手もしてくれます。

 

アイドルが「雲の上の存在」であることを止め、「手を伸ばせば届く存在」になったことで、犯人が勘違いしてしまったのです。

 

アイドルの「営業スマイル」を「営業」だとは思わず、自分勝手に自分はアイドルと恋愛関係を築いている、と思い込んでしまいました。

 

アイドルにとって、ファンに愛想よく振舞うことは当たり前のことです。

 

普通の人は、それくらい分かっています。

 

ところが、このストーカーの男性は「現実」と「妄想」の区別がつきません。

 

そうして、一方的に恋心を抱き、一方的にプレゼントを送り付け、「自分の気持ちに応えてくれない」と、一方的に殺意を抱いたのです。

 

これら一連の異常な思考回路は、やはり「怒り」が基になっています。

 

このストーカーの男性にこそ、「アンガー・バニッシュメント」が必要なのです。

なぜ、人は怒るのか?

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そもそも、人はなぜ怒るのでしょうか?

 

理由はいくつかあります。

 

1つは、「自尊心を傷つけられたから」です。

 

たとえば、面と向かって悪口を言われた、とかですね。

 

これは明らかな挑発行為なので、さすがにこんなことをする人はいません。

 

これは分かりやすい理由ですね。

 

でも、ちょっと分かりにくいかも知れませんが、「自分の価値観を否定する行為」をされたときも、同じように「自尊心を傷つけられた」と感じて人は怒ります。

 

たとえば、「電車を待つときは、列に並ばなければいけない」と考えている人がいます。

 

こういう人がきちんと列に並んでいるとき、年配のご婦人が列を無視してグイっと先頭に割り込んできました。

 

こういうとき、その人はこのご婦人に対して「自分の価値観を否定された」と感じて、「列に割り込むのは、マナー違反ですよ!」と怒るでしょう。

 

ところが、普段から列に割り込む人なら、同じことを他人からされても、大して気に留めないでしょう。

 

上記2つの「怒る理由」は、なんとなく分かると思います。

 

これら2つの理由で怒るのは、当然の怒りです。

 

ただし、その場限りの怒りで、大して後を引きずらないのがいいところです。

 

問題は、「なんで、そんなことで怒るの?」「なんで、それくらいのことでそこまで怒るの?」と、周囲の人が不思議がるような怒りです。

 

そして、「アンガー・バニッシュメント(怒りの消失)」が必要な人は、こういう「理不尽な怒り」を抱えている人たちです。

 

なぜなら、「理不尽な怒り」は放置しておくと、ときに犯罪を引き起こすからです。

 

たとえば、「女子大生アイドル刺傷事件」のストーカー犯人の怒りです。